引用
名護市キャンプハンセンの軍用地の一部返還で、本日返還地の引渡しが行われ、それに伴い支払われていた補償金も終了する。
これまで補償金欲しさに、返還の延期を要請してきた稲嶺名護市長は「(2段階返還に対し)地域分断のやり方そのものだ」などと怒りをぶちまけている。
「米軍基地撤廃」がモットーの稲嶺市長としては、一部返還だろうが全部返還だろうが、「米軍基地の返還」は喜ぶべきではなかったのか。
これまでの経緯を説明しよう。
日米合同委員会は2013年、次のような軍用地の返還で合意した。
①名護市幸喜の55㌶を14年6月30日
②名護市喜瀬と許田の残り107㌶を17年6月30日
ーと二段階で返還する。
ところが稲嶺名護市長は「3区の返還地は山頂付近の急斜面で跡地利用が難しい」という理由で返還延期を求めていた。
引用以上
米軍基地が返還されたのですから喜ばしい事です。跡地利用が難しいから反対していたという事ですが、理解不能です。「銃剣とブルドーザー」で無理矢理奪われた?土地が戻って来たのですよ!もっと喜びましょう。
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