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以下に、セナカ・ウィーララトゥナ氏の論文の要旨をまとめます。
■日本の真珠湾攻撃が西欧の支配からのアジア解放の引き金となった
セナカ ウィーララトゥナ,弁護士(スリランカ)
①本稿の目的は、日本が真珠湾およびアジア各地の西欧植民地を攻撃したと いう事実が、当時アジアの人々の心理と士気にどのような影響を引き起こしたかを検証すること。
②1941年12月8日の詔勅は、日本の戦争目的を「日本の自存を保障し、東南アジアからヨーロッパ の植民地主義を排除し、この地に安定をもたらすことである」と宣言していた。
③1942年、チャーチルは英下院において、大西洋憲章の規定は、「植民帝国(大英帝国)の有色人種には適用」されず、また、「『主権、自治、国民生活』という用語は、合衆国および欧州の国民にのみ適用される」と証言。
④1942年、フーバー元大統領は「白人は、中国人、マレー人、インド人、日本人のいずれからも広く憎悪の対象になっている」と述べた。憎まれる理由は、何百年にもわたって、植民地の主人
として、無慈悲で悪意ある行動に終始していたからだった。
⑤1905年5月の日本海海戦に於ける、日本海軍の勝利が、植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々に衝撃を与えた。
長い目で見れば、西欧の退場の幕引きは日本海海戦から始まったと言っても過言ではない。
⑥パリ平和会議(1918~19)および国際聯盟の設立に際して、日本は諸民族の平等を擁護し、「あらゆる点で、人種国籍のゆえを以て一切の差別をすることなく、法に於ても事実に於ても、平等かつ公正な取り扱い」を保証しようという提案をしたが、列強はこれを拒絶した。
しかし、日本は、全ての人間の平等を認めさせようというこの提案によって、有色人種の「理論的リーダー」として、アジア人とアフリカ人からの尊敬を勝ち取った。
⑦1941年12月8日から90日の間、日本は東アジア、東南アジアの米英蘭の領土を席巻した。占領した地域はフィリピン、シンガポール、マレー、香港、蘭印、ビルマ(ミャンマー)に及んだ。
⑧マレーシア元首相マハティール・モハマド「日本人というアジア人種が白人を打ち破ることができるということが証明され、その事実によって、『意志さえあれば、我々も日本人のようになることができる』という意識に新たに目覚めたのである。我々は自分の国を統治し、欧州人と同じ土俵で競う能力を持っているのだ。」と述べた。
⑨シンガポールのリー・クワンユーは、「日本が英国を打ち破ったことが、我々の世界を完全に変えた」と証言。
⑩トインビーは「第二次世界大戦に於て、日本は偉大な歴史を遺した。自国のためばかりでなく、この戦争から得るもののあった国々のために偉大な歴史を遺したのである。その国々とは、日本が提唱し、短命に終わった大東亜共栄圏に含まれる国々のことである。日本の人々が歴史に遺した最大の業績は、世界を支配していた西欧人が『打ち負かすことのできない神々』ではないという事実を明らかにしたことだった」と述べた。
⑪日本は決して、アジア諸国に不法と掠奪を働く犯罪的な意図を持った侵略国ではなかったということを訴えたい。そのような誤解は、西欧の宣伝工作に誘導された結果である。実際には日本は、西欧の支配からの独立を求めて全アジアにひろがった戦いを燃え上がらせることになった火花だった。アジアの人々は、日本の壮大な戦争努力、日本人兵士の血の犠牲によって救われたのだ。今や、日本が受けるべき正当な名誉を与えてやってもよい時期になったのはないだろうか。
⑫二十世紀に日本は、欧州の植民地主義をアジアから駆逐するために断乎として戦った最初の国となった。悲しいことに、その英雄的な貢献と犠牲は評価されることがない。
日本に対して、アジアの感謝の意を表し、歴史のストーリーを書き変えるのに、決して遅すぎることはない。
<日本語訳文はこちら>
http://hassin.org/01/wp-content/uploads/Senaka.pdf
<英語の原文はこちら>
http://www.sdh-fact.com/essay-article/886/
<セナカ・ウイーララトゥナ氏のプロフィールはこちら>
http://www.sdh-fact.com/auther/senaka-weeraratna/
このようなアジアの声のあることを、我々は胸に刻むべきです。
もし、日本が立ち上がらなかったら、アジア解放は実現せずに、現在でも欧米列強の統治が行われていたかもしれません。
アジア人でも欧米列強に勝てるんだという、自信と誇りを植え付けてくれた日本の英霊に感謝の念を捧げましょう。
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